
今日はまず杏さん教室から。バックなんだけれど、ネモフィラの終わりに向かって進めているんだけれど、これを言葉で考えると、最初は手前の方から、ネモフィラに見える
様に、きちんとリアルに花びらを切り、中心部には花弁みたいなものがあって・・・って近くで見ると、忠実に再現しようとしている。形や色を工夫して・・・。
こうして説明すると、いかにリアルを追求しているか?伝わって来るのね。つまり腕が伴うと、より本物のように見えて来るはずなのね。こうして良く見れば、良く再現
されていると思うのね。それが段々と遠くに行くに連れて、一眼レフのように、手前はキッチリ見えるのに、遠くはピンボケして行くように花には見えなくして行く。
つまり段々と花びらを作っては行けない・・・って事になる。しかも遠くになると、段々とパーツも小さくなるし、薄くなって行く。段々とね。こうして言葉で表現が
出来ないと脳が理解していないから、何がどう変わって行くか?しっかり把握出来ないまま、でも切る、張る事は上手くなって来たから、実力が発揮出来ないのね。
でも進んでしまう・・・では一体、言葉でしっかり真似た手前のネモフィラから、次はどうなるか?となると、次の段階では、全部がネモフィラの花では無く、花びらを1枚
無くしたり、いびつにわざと切ったり、要するに下手っぴにする。キチンとしないように。そうするとキチンとが崩れる。更に一回り小さくしたり、次は2枚無くしたり、
段々ともっと下手っぴなパーツにしたり、わざとずらしたり・・・問題はここなのね。今まできちんと作ろうとした意識は、きちんとが普通になっている自分がいるのに、
下手っぴに作る・・・そんなのは嫌って意識になる。つまり常にきちんとしてしまう。それが野球に例えると、ストライクが取れるようになったのに、わざとボールにする。
わざと・・・。でもきちんとが普通になっているから、意識が変わらないと、普通にきちんと揃えてしまう・・・だから、整列してしまうのね。そうなると花を作っている時
なら、花びらを減らすって意識で何とかなるが、段々と花びらに見せない・・・って事になると、レンガを積んでいるようになってしまうのね。そこをいかにヘッポコに、
ずらせるか?・・・下手っぴにわざと・・・ね。こんな意識が変えられると、リアルだったものが下手っぴに見えるくらいに変化する事で、幅が広がるのね。
つまりそんな意識を持てるか?が全てなのね。そんな後は、看板のリピーターさん。

今度はリピーターさんとなると、空に入っていよいよ終わりを迎えるんだけれど、ここも一緒でバック・・・となる。こうして見ると、徹底的に切って来た。当然切る事が、
段々と上手くなっている。そうなると、同じように徹底的に切りたくなる。でもメリハリと言うのなら、あえて切らない・・・って事が、今までとは違う事で、今まで切った
パーツがより小さく繊細に見えたりはしないだろうか?・・・それが形の問題。今度は色となると、今まではスタジオって文字以外は濃い目の色合い。つまり空の色を、
薄めにする事で、主張せずに今までを活かすように考えれば、おのずと濃い目の色は避けると思うのね。しかしながら、たった2色、しかもこれだけ切れるようになったのに
切らない・・・ってストレスを感じるって事になるのなら、白で雲でも作れば十分な箸休めになるだろう。こんな事が意識の変化なんだけれどね。そんな後は孔雀の下絵。

これで一応下絵は終わり、後は実際の大きさはどのくらいになるか?実寸台に引き伸ばす段階に入ったのね。