
今日は急きょ決まった親子3代さんの絵馬教室分の下地彫り。まぁ昨日決まって、昨日の内に下絵を描き写してあったんで、すんなり彫り終わり・・・後はニスと紐付け。
その後は先日の田中さんの仕事の下絵。

一つはこの孔雀と、もう一つは龍なんだけれど、難しい事が山積みで・・・そもそもお任せって言うのは、ほぼお任せでは無い事の方が多いものなのね。そうだなぁ、例えば
幹事なんかを頼まれて、あれこれ調べて数店見つけたら、和風かぁ・・・とか、靴脱ぐのぉ・・・とか、結構するんだね・・・とか、飲み放題は無いのかぁ・・・とか、
それなら、最初に条件言ってよ・・・って話で、今回の場合、子供の施設って事だが、モネを選ぶ時点で、一体何人の子供がそれをモネだって判るか?となると、恐らく大人
寄せの考え方なんだろうな・・・そしてモネを選んで、立体とか変化をさせるアレンジを加えるって言うのは、名曲のアレンジみたいな話になるのね。つまりそのスタイルの
ままなら、北斎をコピーなんて言うのは簡単に思い浮かべられるが、名画と言っても恐らく和風を選ぶとは思えないのね。つまり洋画となると、田中さんはお洒落って言う事
を選択していると思われるのね。勿論これは全て想像なんだけれど、ここが大事で、仮に名画のコピーなら、これは?これは?ってスマホで見せれば良いだけで、一切描く必要
は無いんだけれど、あくまでオリジナルで行くとすると、こうして絵をいちいち描かないとならなくなり、しかも却下される可能性も大きく、それが先日のコープの話で
全てが無駄になるのね。つまり攻めた提案は、通らない可能性を秘めた提案に時間を費やしているかも・・・と感じながらの下絵となるし、通りそうな感じに思われる下絵を
寄せに行って仕事が無くなると、オリジナルの提案も出来ず、しかも置きに行った下絵で却下ならまだしも、無かった事になれば、それを考えている時間も下絵を描いた事も
全て無料でやった事になるのね。だから世の中の大半のモザイクは、商業ベースのものでは全て先方の下絵の再現であり、作家では無くて、演奏する人とか、描き写し人の
ような仕事になるのね。要するに考えるって言う事から始まるのでは無く、選択をする・・・こんな大きな違いがあるのね。だからオリジナルは結構リスクを抱えてんのね。
そんな中、かぐやの送迎。かぐやはどっち?・・・って、まだ比較出来るほど描き込まれてはいない下絵で、ん・・・って言ってたが、龍もなぁ・・・捨てがたいって。
この場合、弟子であるから何を考えているか?の傾向と対策はある。恐らく、孔雀はそのまま作ったとしても色合いは綺麗であるし、でもオリジナル感としては、ただの
ソックリ。けれどそもそもモザイクとしての孔雀がどの程度あるか?となると、普通の人ではそうそう見た事は無いだろうし、そのオリジナル感を微妙に出しているのが、もう
下絵の時点で、本物よりも若干短めの首にしたり、目を大きめにする事で誇張して漫画チックにしてあるのね。つまり本物をアレンジって言う点では、田中さんの方側の考え
であり、龍は架空上の生き物だから、何を描いてもオリジナル。ただみんなが描いているから、龍とは?って固定観念があるから、やり過ぎるとこれが龍?なんて事も起こる。
ただそれも龍を描きます・・・って考えで行くのと、龍に見えたら良いな・・・とか、龍っぽい?龍かも・・・とか、表現が緩くなると、もはや龍には見えない・・・と、
なれば、それは龍では無いが、龍に見えてしまう人が1人でもいると、その考え方は、隠れキャラ的になる。つまり見える人には見える。そうね、抽象的とでも言うのかな?
いずれにしても、決めるのは俺では無く田中さんだから、見せられる絵までにはしとかないと・・・。