傾奇者モザイクKATSUの日記

恐れながら申し上げ候

父の検診と孔雀のモザイク壁画

今日は父の検診の後は、引き続き孔雀のモザイク壁画。何かねぇ・・・作っていて段々と感じが出て来ると、あぁやっぱりこんな感じになるんだなっって手応えみたいなものが出て来るのね。きっと最後はいつも通りにkatsuの作品のグレードに到達するとね。

ただ、これが厄介で生徒さんはみんな大作を作っていて、みんなのグレードが上がれば、それを作れる目を持ってして見る事になる。だから作家katsuは常に先生katsuに

追われる事になるのね。底上げして見る目すら養うのだから。そうなると、普通に商業的なモザイクを見ても興味も持たないし、反応も悪くなるのね。それは生徒さん同士の

作品ですら、グレードが高くその上で、先生の作品なのだから・・・って見るのね。その時に、年数が経つと一体作家katsuのどんな作品を見ているのか?となると、例えば、

昔は依頼品は3万から・・・なんて低い設定で作っていると、どんな時も必死でしかも、お客さんの言い値だから、作っても作っても貧乏ループだったのね。それは、

何しろモザイクは時間が掛かるから。当然そんなだと、家賃すらも払えない状況になる。そんな事を何度も切り抜けて来たのね。三途の川って言う例えなら、後1ヶ月支払えないと、モザイクを辞めないとならない・・・となると、三途の川が見える寸前まで

やっていた事になる。所がそれを繰り返すとまた見えてしまう・・・となると、そこまでこだわると危ない・・・って事になるから、三途の川を見ないようにする・・・

ただそれは見えると生活がままならない、見えないと楽では無いが、首の皮一枚残せる・・・そんな事を繰り返すと、ここまではやってはいけないって歯止めみたいな事が

起きる。これが全力を出した事が無い・・・の例えなのね。つまり全力を出すとモザイクを辞めないとならなくなるから。しかもストッパーを掛けているのにも関わらず、

生徒さんは全力なのだから、当然近づいて来る。そこが体験の楽しいモザイクとは違う所で、その目なら何でも素敵だの、凄いだのって簡単に言って貰えるだろうが、

そんな目とは全く別格の目は、良い意味で中々厳しいのね。つまり古い作品を知っていればいるほど、三途の川作品を見て来た事になるのと、そうで無い作品って事なのね。

当然この理屈からすると、この孔雀のモザイク壁画も三途の川は見えない作品になる。ただ一体何処までやる事が正しいのだろうか?そのさじ加減って言う事が出来るように

なっているから見ずに済むようになった・・・とも言えるんだろうね。勿論、どんな形であってもkatsuの作品である以上、絶対にそれ以下になる事は出来ない・・・。

ただ結局折り合いの付け方・・・これが丁度良い作品って難しいって言う話なのね。だからもっと言えば、楽をするって言うのは、お金を諦めてしまえば、こだわる時間が

増え、作家katsuは満足するだろうが、作品の完成度としてでは無く、満足度に過ぎない。ではその作品の評価をする目は一体誰が一番正しい判断をしてくれるんだろう?

って事になると、もし俺だとするのなら、きっと三途の川に胸まで、首までって行ったら帰って来るくらいになるんだろうね・・・。それは危な過ぎるのね。でも、もう

そんな事を察知するくらい場数を踏んでいるんだろうね・・・だからこれで本当にkatsuが納得するか?では無くて、最低限katsuに見える作品になっているか?の安全ゾーン探し

に感じるんだろうね・・・作家katsuの目からすると・・・。ただ消して悪くは無いんだけれどね。ただかなり良い線だとは思うんだけれど。こんな話に似た話を生徒さんに、

話した事があるけれど、先生は一体何処を目指しているんですか?って聞かれた時に、美空ひばりさんくらいにはなりたいなぁ・・・って言ったんだけれど、もっとちゃんと言うなら、最低国宝くらいに見えるもんが作りたいのね・・・。きっと馬鹿にされるし、

呆れられるんだろうけれどね。でもそれなら最高なのね。何せ全ての一流はみんな否定から始まっている。そんな事出来る訳無いじゃん・・・と、何も目指していない人に、

馬鹿にされ、否定される事から始まっているのね。ただそこに屈せず、諦めないで続けた人だけが届く可能性があるだけで、結果ありきで努力をするんでは無く、続けて可能性の切符を貰う権利を勝ち取るんだろうね。ただそれは、結婚がゴールなのか?

始まりなのか?ってその人の受け取り方。俺はやっと土俵に立てたくらいにしか思えないけれどね。つまり俺はまだ土俵にすら上がっていない気分なのね。

まっ、作品制作が葛藤って言うのなら、貧しい中の葛藤が出来るのは、もう終わりが近いから、楽しみながら次のステージの準備をした方が良いと思っているのね。

要するにこれからは、今までとは違う依頼に遭遇して行く・・・恐らくそうなるんだろうなって気分なのね。まだ何も表面上は変わっていないんだけれどね。これから始まる

何か?・・・それが導火線に火が付く瞬間になるんだろうが・・・。だから何が火種になるのか?って事になるんだけれどね・・・。

引き続き孔雀のモザイク壁画

今日も引き続き孔雀のモザイク壁画。いよいよって感じに顔に入ったのね。

まぁこんなもんじゃないの・・・って雰囲気はあるし、特に問題は無いと思うんだけど。ひとまずインスタで元請けのtilememoの田中さんとマイトさんからコメントが入っていて・・・まぁ羽までは良い感じの反応で何よりだったのね。

今日も孔雀の壁画

今日も引き続き孔雀の壁画。まっ理想としては背中の羽部分のガラスタイルは終わらせたい・・・そんな感じだったが、先日と同じで気が付くと1時・・・そしたら目までやってたのね。

まぁここまで来ると、しばらくは丸の繰り返し。ただ問題はタイルを持つ側の手・・・ずっと繰り返しのパーツを切るって事は、ずっと指紋を無くすって事でもあるのね。

まっ顔だけだから何とかなるかぁ・・・。

今日も孔雀の壁画

今日も引き続き孔雀の壁画。まぁ地味だけれど進んではいるし、そこそこな事をやっているんだけれど、そもそもモチーフとして興味を湧いて貰わないと、見る事さえも飽きられてしまう事は多々ある。しかも同じ事の繰り返し・・・。

これが同じ繰り返しだとしても、模様なら好き嫌いは少なく、しかもこれ良いなぁ、こんなの欲しいなぁって言う感情移入もしやすいが、孔雀欲しいなぁ・・・とは、中々ならないもので・・・。

これが同じ生き物でも、ウチの犬とか猫みたいな場合、感情移入はしやすくなるし、同じ犬種みたいなゆかりがあると、興味も湧きやすい。勿論ここも良い事と悪い事は背中合わせで、ゆかりがあると、何がどう違うか?と良く見て貰えるが、孔雀って・・・

どんな生き物か?と聞かれても、曖昧な記憶でしか無かったりもする。それがせめて、体が終了して羽にでも入れば、羽は売買があるくらいだから、興味も湧きやすくなる。

ただそれさえも、何しろ時間が掛かる分、飽きさせてしまうのね。ただ完成となると、途中経過に興味は無くても、綺麗とか凄いって反応は良くある話で・・・。

そんな訳で、今は一番退屈させてしまう時間帯だろうなぁ・・・と思ったりする。ただ今の段階で興味を持って貰っていると、今後どうなるのかなぁ?って益々・・って感じになるんだけれどね。

まぁこんな事を入れるのは、大作を作っている生徒さんへ・・・なんだけれど、先生であってもこんな事を思ったりして進めているもので、数時間で終わるお手軽感とは全く違うものなんで、楽しい・・・だけでは進まない。

葛藤・・・なんて言葉の方が近いのね。だからそう簡単な事では無いから、単純に楽しい・・・では無くて、完成した時の達成感の方に気持ちを置くから、中々終わらない果てしなさを感じる事になる。

ただ続けているといつかは終わる。それが何とかロス・・・なんてもんなのね。それは数時間の作品には無いのね。お手軽、お気楽な作品は楽しむ事重視で、大作は誰にでも出来る事では無いものなのね。だからこそ、凄いなんて評価を受ける。

まぁこの辺までの事は、大作の生徒さんも十分判っている事なんだけれど、プロはそこの出来次第で批評されるし、時間を掛ければ利益は減り、掛けなければ雑になる。

それを一切気にしないで作れるのは仕事では無いからなのね。ただその大作に耐えられた実績になるのね。その実績を持つと小物作品を本当の意味で楽しめるようになるのね。

まぁ親子3代の小5の彼女の絵馬を見れば判るのね。それはあの程度の小物作品では、大人顔負けのグレードに見える・・・しかも大作の人達の目であっても・・・。そりゃ、そんな作品が作れれば、楽しい気持ちになるし、大作と違って数時間で完成する。

じゃその目で俺の孔雀も見て貰うと良いのね・・・そんな目で見られれば、きっと厳しいだろうし、簡単には凄いなんて言わないし・・・しかもきちんと技術を見て貰えるし

・・・いずれにせよ、作家katsuとして見られる壁画だから、その位のプレッシャーで無いと、緊張感も走らないし、退屈になってしまうのね。

 

孔雀の壁画

今日は丸々孔雀の壁画。所々塗り直しをした箇所もあるんだけれど、羽が段々と進んではいるのね。まぁ何をやっても余り進んでいないように見えるだろうが・・・・

まっこんなだから、仕方は無いんだけれど・・・。まぁしかし、相変わらず楽な部分が無く・・・その内やってりゃ終わるだろっ・・・って感じなのね。そんな中、気が付いたら、まさかの1時・・・慌てて帰宅。12時くらいかな・・・と思ってた。

りょうさんと棟梁の相席教室と孔雀の壁画

今日はりょうさんと棟梁の相席教室。そうね、ここ数ヶ月棟梁は調子を崩していたんだけれど、声の高さや張り、歩き方の歩幅や軽快さが違うんで、調子良いの?って質問をしたら、はいって。だよなぁ〜、判りやすい。こう言うのはとても大事で、     

その人の調子が判ると、その調子に合わせて、調子が良いなら難しい事にチャレンジしても、挫ける事無く進めるし、悪いなら考えるような場所を避けるべき。

しかも今日の調子がどうだか判らない状況で前持っての予約なんだから、来て見ないと判らないしね。

更に言えば、調子が良い棟梁がただバックを切って入れる・・・こんな単純な事をするのだから、進むに決まっているのね。

ただ調子が良いのなら、指導も変わって来るのね・・それならと、親子3代さん達の絵馬があるから、見て貰い誰が作ったか?

をその理由も言って貰う質問をしたのね。まぁ近々に来た人達はみんなやっているんだけれど。

それはとても見る目を養うには勉強になるのね。その時に何となく答えるのは禁止で、必ずこうだから・・・って、

自分なりの意見を言う練習であって、好みで答えるのも禁止。これは腕は一切関係無いし、作品を見る目を養えるのね。

だから当てる事が目的では無く、一体何処を見て判断したか?なのね。それに寄って自分に無い腕前や、自分にも出来る事を発見したり、比較を出来たりするのね。そもそもこうしたみんな同じ下地で・・・って

比較は、アトリエの生徒さんでは中々無い事で、しかも生徒さんの腕前での小物って言うのは、最高峰ならキウイの絵馬だから

高洲のサークルの人達しか、中々見られないから、こう言う機会はとても大事だと思うのね。すると、流石に調子の良い棟梁の目は正しく、お母さんはこれ・・・って。

しかもブログで良く見ているから、お母さんのタイルの切り方の癖まで見ていたのね。お母さんのパーツは、角が無くちょっと丸っぽいのね。そうなると、ママと小学生。所がここは思い込んだみたいで、

小学生は上手い・・・って事で、見間違えたのね。これが凄い事で、棟梁の腕があり

しっかりとした目を持っている人に見間違いをさせた小学生・・・って事になる。そこで彼女の大作を改めて見て貰うと、

上手く見えるんだけれど、ボンドが沢山付いている。つまり切る事は上手いけど、

ボンドの付け方が小学生なのね。だから、みんなに見せる時にキチンと落として見せたのね。すると、ママと見間違いをさせられる・・・いかにカットが上手くなったかって事なのね。

しかもどの人もみんな大作をしている人達なのだから、中々の腕前の人達にね。つまりボンドを落とし、同じ大きさでぺきぺきの柔らかいタイルの小物作品なら、

みんなに見劣りしない作品を作れる小学生なのね。そう見れば、とても刺激的な作品で、とても勉強になるはずなのね。

それを、ピンクを使っているから・・・女の子で、可愛く見えるから子供で・・・

と、色や見栄えで思い込むなんて事になると、見掛けで判断したり、思い込んだりしているって事になるのね。

目を養うって言うのは、目が向上すれば、その目で作るのだから、そうしたい・・・って腕の向上に繋がるのね。それは五感を鍛える話なのね。

だから味覚なら何か・・・って思える引っ掛かりを感じる事が出来ると、隠し味とか、舌触りなら触覚になるし、見た目なら

視覚、焼き方なら音で聴覚・・・と言った視覚だけに頼らない向上は腕だけとは限らないのね。

そこは常に感じるって五感の向上なのね。それを腕だけ練習しても、確かに上手くは見えるが、棟梁くらい自在に切れるなら、

大事なのは五感。いかに感じられるか?なのね。棟梁の指導はそれのみ。逆にりょうさんは、徹底的に切る。切る練習って感じで、何しろ思った形に切る。ただ例えば、

こう切る・・・って幅や大きさが決まっているようなパーツは、考える事無く切れるようにはなっている。ただ大きなスペースな場合に、そこをどうやって切る?って、

自分で考えないとならないパーツの時に、どうやって切ると良いか?って時に、悩んでしまうと手が止まってしまうから、

進まなくなる。進まなくなるのは嫌だから、何かを選択して進んでしまう。しかししばらく進んでしまった後に、何か変だな・・・

と感じながらも、後戻りをせずに進んで、ここは・・・って指摘すると、やっぱりかぁ・・・って。

要するに本人も気付いていたのに進んでしまう。つまり切る腕の問題もあるが、気付く・・・感じる事も大事なのね。

その時に、何か変って所までは来ているのね。何かが変って気付いてはいる。そこで立ち止まって、声を出して聞ける・・・

ここ。それが出来るようになると、少し垢抜けたやり取りになるのね。ただ何もかも考えずにやたらと呼び付けるって事になると、相席は出来ないのね。

それは個人レッスンなら出来るけれどね。ここのさじ加減も一緒な話で、自分が本当に考えて、立ち止まり、私はこう思っているんだけれど、どうですか?・・・

って場合、自分の意見ありきでの質問だから、間違っていれば是正となるが、何も考えずに尋ねるって事は、次もその次も

何も考えずに、ただ答えを聞いて進む事になるから、手っ取り早いのね。でもそれでは、考える癖が付かない。

例えば、腕として上手くなった・・・って事になったとする

・・・じゃ楽譜通りに弾ける。字を見て黒板の文字をノートに写せる。レシピ通りに料理が作れる。それで良いのならそれも良い。でももし、オリジナルの歌が作りたい。

作文を書かないとならない。創作料理が作りたい・・・となった時、考える癖を付けないと、言われた通りのみの対応しか出来ない事になる。それはただの職人。

確かにそれはそれで凄い事でもあるが、それでは、さっきの親子3代の人達のように、同じ下地で自由に・・・って言う場合、サンプルが欲しい人になってしまうのね。

考えるって事も腕前と同じように、常に練習しないと、腕が向上すればするほど、見劣りする事になるのね。だからたわいも無い話でも良いから、常に考えてこう思うって事を、口にするのも練習なのね。

例えば好きな歌。何で好き?何処が好き?どのフレーズ?何処の歌詞?・・・何でも良いのね。自分が引っ掛かった部分、そんな所が趣味趣向なのね。それを口に出来無いと

何をどうしたいのか?先生に伝わらないし、これかな?これかな?と提案しても、

正解が出るまで、両者共に疲れてしまう。だから、オリジナルを作るやり取りが必要になるのね。

それを持って、オリジナルを作る時に、こんなふうに見えるように作りたいんだけど、これでそんな風に見えますか?・・・ってやり取りがスマートになって行くのね。

いずれにしても、この程度の話は2人は出来るようにはなっているから、ビックリする話では無いのね。ただ3人の絵馬は具体的に話すには参考作品として良い勉強になったのね。

そんな後は、孔雀の壁画。

外は1cmタイルの4分の1弱の大きさを台形に切り、中身をガラスタイル。またこんな模様の繰り返し。

2名体験教室と孔雀の壁画

今日は体験教室2名からのスタート。まぁ見ての通りのサンプルとは全く違う自由で楽しんで頂いたのね。こうなると、えっとどうしようかな?って悩みが色合いとデザイン

になるのが普通なんだけれど、市松模様の方は真ん中の1枚の色は少し悩んだものの、一瞬って感じにあっと言う間に決まってしまって・・・そうなると後は、丁寧に張る

ってだけだから、すんなり終わったのね。逆にもう1人の方は、色は大体青に・・・って言うのは、決まっているものの、色んな形に悩んでいたりして・・・ある意味、それ

を楽しんで頂きたい趣旨にピッタリな方だったのね。今回は白いタイルを使われたので、ライトグレーの目地を入れて貰ったのね。とても良い感じに完成したので、何より

だったのね。そんな後は、孔雀の壁画。

後200枚弱って感じかなぁ・・・緑。しかし、毎度の事だけれど、果てしないなぁ・・・って言う感じもするが、一方で、実家で下絵の原寸を見ても、まっこの

程度の大きさかぁ・・・ってピエロの壁画よりも小さい事で、大きさに飲まれるような事も無く、少し進めばもっと気持ちもアップするとは思うが、まっ始まったばかり。

そう考えれば、まずまずなのかな。